


【第3回】定額残業代の有効要件②「対価性」の重要性と判断基準 <連載>日本の定額残業代裁判例の要点

【第2回】定額残業代の有効要件①「判別性」をわかりやすく解説します <連載>日本の定額残業代裁判例の要点

こんにちは、分かりやすさNo.1社労士の先生の先生、岩崎です!
定額残業代の有効要件シリーズも今回で4回目です。これまで「判別性」「対価性」「合意と周知」について解説してきました。
今回は最後の重要な要件「差額支払義務」について詳しくお伝えします。この要件が守られていないと、せっかくの定額残業代制度も無効とされるリスクがありますので、しっかり理解していきましょう。
「差額支払義務」とは、実際の時間外労働等に基づいて計算された割増賃金の額が、支払われた定額残業代の額を上回る場合には、使用者はその差額を追加で支払わなければならない義務のことです。
つまり、定額残業代はあくまで「一定時間分」の割増賃金の前払いないし最低保障額であり、実際の残業時間がそれを超えれば、超過分の残業代をきちんと支払う必要があるのです。
この差額支払義務の存在と履行は、定額残業代制度が労働基準法第37条の趣旨(割増賃金による労働時間の抑制と労働者への補償)を潜脱するものではないことを示す重要な要素となります。
もし差額支払義務がなければ、企業は定額残業代さえ支払っておけば、労働者にどれだけ長時間労働をさせても追加の支払いが不要になってしまいます。
これでは「定額働かせ放題」となり、長時間労働を抑制する労働基準法の趣旨に反することになるのです。
平成24年のテックジャパン事件最高裁判決では、櫻井龍子裁判官の補足意見として、定額残業代の予定時間を超えた場合に差額を精算する旨の合意や、実際に精算が行われた実態も認められない点が指摘されました。
この補足意見は、その後の下級審判決や実務解釈に大きな影響を与え、差額精算の合意・実態の有無を厳格に問う傾向を生んだとされています。
平成30年の日本ケミカル事件最高裁判決では、差額不払いの事実のみをもって直ちに定額残業代の有効性が否定されるわけではないとの立場が示唆されました。
ただし、この判決も差額支払義務の原則自体を否定したわけではなく、差額支払義務の履行が制度の適法性を支える重要な要素であることに変わりはありません。
差額を支払う旨は、雇用契約書や就業規則に明記しておく必要があります。例えば以下のような記載が有効です:
「上記固定残業手当は時間外労働30時間分の対価として支給するものであり、実際の時間外労働が30時間を超えた場合には、超過分について別途割増賃金を支給する。」
差額支払義務を履行するためには、定額残業代制度を適用する従業員も含め、全ての労働者の労働時間を正確に把握することが不可欠です。
タイムカードやICカード、PCログイン・ログアウト記録、あるいは自己申告制と上司による確認など、客観的な方法で労働時間を記録・管理することが必要です。「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」(平成29年厚労省)も参考にしましょう。
毎月の給与計算時に、各従業員の実際の時間外労働等の時間を集計し、それに基づく割増賃金額を計算します。その額が定額残業代を超える場合には、超過分を翌月の給与で支払うといった運用が一般的です。
この差額計算のプロセスは、給与計算システムに組み込んでおくと効率的です。また、差額の計算根拠や支払い実績を記録として残しておくことも重要です。
差額を支払う場合は、給与明細書にも明確に記載しましょう。例えば「固定残業手当超過分(○時間)」といった項目で示すことで、労働者も自分の労働時間と賃金の関係を理解しやすくなります。
月80時間といった極端に長時間の定額残業時間を設定することは、以下の点で問題があります:
1.いわゆる「過労死ライン」に相当する時間を常態化させる危険性
2.従業員がその時間を超えて残業するインセンティブが失われる
3.36協定の上限規制(原則月45時間・年360時間)との整合性
東京高裁平成30年10月4日判決(イクヌーザ事件)では、月80時間分の固定残業代の定めを原則無効としています。
安全な設定としては、年間上限(360時間)を12で割った月26~30時間程度が一つの目安となると考えられます。
国際自動車事件(最判令2.3.30)では、タクシー会社の歩合給から「割増金」相当額を控除する仕組みが無効とされました。この仕組みでは、時間外労働等が増えると控除される「割増金」も増え、結果的に歩合給が減少するため、総支給額があまり変わらない(「実質残業代ゼロ」)状態になっていました。
最高裁は、このような仕組みは「判別性」及び「対価性」の要件を満たさず、割増賃金のコストを実質的に労働者に負担させるものに等しいと判断しました。
「差額支払義務」の履行は、定額残業代制度が適法に運用されるための不可欠な要素です。定額残業代はあくまで「一定時間分」の割増賃金の前払いであり、実際の残業時間がそれを超えた場合には、必ず差額を支払う必要があります。
労働時間を正確に把握し、適切に差額計算・支払いを行うことで、労働基準法の趣旨に沿った適法な制度運用が可能となります。
次回は最終回として、定額残業代に関する最高裁判例の動向と実務上の留意点を総括的にお伝えします。お楽しみに!