


【第4回】判例から学ぶ②~退職願の撤回はいつまで可能?決定的瞬間を知る~ <連載> 退職と職場環境づくり(全6回)

【第3回】判例から学ぶ①~曖昧な退職表明はどう判断される?大通事件の教訓~ <連載> 退職と職場環境づくり(全6回)

こんにちは、分かりやすさNo.1社労士の先生の先生、岩崎です!
連載最終回となる今回は、「退職時の紛争防止」という守りの法務論から一歩進んで、企業にとって最良のリスクマネジメントについてお話しします。
それは、そもそも優秀な人材が「辞めようと思わない」環境、すなわち高いリテンション(定着率)を実現する組織を構築することです。
日本企業の伝統的な強みである長期雇用モデル(内部労働市場型企業)においては、キャリアの予見可能性が定着の鍵となります。
定期採用、ローテーション、昇格といった長期的キャリアパスを明示し、労働者に「この会社にいれば成長できる」という安心感を与えることが重要です。
また、心理的契約の維持も欠かせません。雇用保障と引き換えに忠誠を求める暗黙の契約が機能するためには、経営危機時における雇用維持努力(整理解雇の回避努力)が不可欠です。安易なリストラは、残存社員のモラールを破壊し、予期せぬ連鎖退職を招きます。
一方、流動性の高いモデル(外部労働市場型企業)においては、公正な評価と処遇が重要となります。
職務記述書により役割と責任を明確化し、市場価値に見合った報酬を提供することが求められます。貢献度と報酬の不一致は即座に離職に直結します。
さらに、エンプロイアビリティの向上も有効です。会社に縛り付けるのではなく、「いつでも他社に行ける能力」を身につけさせる機会(研修、プロジェクト経験)を提供することで、逆説的に「成長できるこの会社にいたい」というエンゲージメントを高めることができます。
多くの退職紛争や不当解雇事案の背景には、職場における人間関係のトラブルやハラスメントが存在します。
パワーハラスメントの防止は最優先課題です。上司の指導が業務上の必要かつ相当な範囲を超え、人格否定や執拗な叱責に至れば、それは指導ではなくハラスメントです。
これは離職の直接原因となるだけでなく、会社に対する安全配慮義務違反(民法415条)に基づく損害賠償請求のリスク要因となります。
突然の辞職願は、多くの場合「突然」ではありません。それ以前に、欠勤の増加、意欲の低下、周囲との摩擦といったサインが出ていることが多いのです。1on1ミーティング等を通じてこれらのサインを早期に察知し、対話を行うことが、不要な離職を防ぎます。
平成23年度の総合労働相談コーナーにおける解雇に関する相談件数は57,785件に上る一方、労働審判の新受件数は1,747件、訴訟における判決数はわずか284件にとどまります。
この統計が示唆するのは、圧倒的多数の退職トラブルは、裁判に至る前の段階で、あるいは水面下での交渉(あっせん、和解、あるいは泣き寝入り)によって処理されているという事実です。労働審判においては調停成立率が高く、金銭解決による合意退職が多く行われています。これは、企業にとって「紛争化した場合のコスト」がいかに高いかを示しています。
辞めない環境作りへの投資は、これらの紛争解決コストと比較しても、経済合理性の高い経営判断と言えるでしょう。
現代の労働市場において、退職は必ずしも「関係の断絶」を意味しません。円満に合意退職した元社員(アルムナイ)を「社外の理解者」「ビジネスパートナー」、あるいは将来的な「再雇用候補(ブーメラン採用)」としてネットワーク化する動きが広がっています。
「辞職」で喧嘩別れするのではなく、納得ずくの「合意退職」に持ち込み、その後も良好な関係を維持することは、労働力不足時代における新たな人材確保戦略としても機能します。
6回にわたる連載を通じて、労働者の退職に関する法的知識と実務対応を解説してきました。最後に、実務担当者が押さえるべきポイントを整理します。
第一に、法的峻別の徹底です。
労働者の意思表示が「一方的な告知(辞職)」なのか「合意の申込み」なのかを、その言動、経緯、書面の文言から慎重に判断してください。不明確な場合は、労働者保護の観点から「合意退職の申込み」と推定されるリスクがあることを念頭に置きましょう(大通事件)。
第二に、プロセス管理の精緻化です。
合意退職においては、権限者による速やかな承諾通知によって契約成立を確定させることが、撤回リスクを回避する唯一の手段です(白頭学院事件、大隈鐵工所事件)。
第三に、退職勧奨の適正化です。
退職勧奨はあくまで「お願い」であり、強要と受け取られないよう、自由意思の尊重を徹底してください。必要に応じ、退職パッケージ等のインセンティブを活用しましょう(下関商業高校事件)。
第四に、予防法務としての環境作りです。
法的なテクニック以前に、労働者が「辞めたい」と思わない、あるいは「辞めるにしても円満に」と思える信頼関係と職場環境を構築することが、最大のリスクヘッジとなります。
労働契約は、法的な権利義務関係であると同時に、人と人との信頼関係を基礎とする社会的営みです。
無機質な法の条文の背後にある「当事者の意思」と「生活」への深い洞察を兼ね備えた労務管理こそが、企業の持続的成長と法的安定性を両立させる鍵となるでしょう。
6回にわたる連載をお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんの実務のお役に立てれば幸いです。また次の連載でお会いしましょう!