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第5回:世界はハラスメントをどう規制しているか — ILO第190号条約と各国比較 <連載>ハラスメント法制の歴史と未来 — 2026年10月大改正を読み解く(全6回)

こんにちは、分かりやすさNo.1社労士の先生の先生、岩崎です!

連載第5回は、国際比較の回です。ハラスメントに対する法規制の設計は、各国の労働法制の思想や人権に対する捉え方によって実に多様です。国際基準であるILO第190号条約という「物差し」を当てることで、日本の現行法制の構造的な課題と到達点が、より鮮明に見えてきます。

物差しとしてのILO第190号条約

2019年に国際労働機関(ILO)で採択された第190号条約(仕事の世界における暴力とハラスメントの撤廃に関する条約)は、ハラスメントを単なる労働問題ではなく「基本的人権の侵害」と捉え、あらゆる人が仕事の世界における暴力やハラスメントから自由である権利を保障するものです。この条約と日本法制との間には、3つの根本的な乖離が存在します。

乖離その1 — 行為自体を直接禁止しているか

ILO条約は、国内法でハラスメント行為そのものを明確に定義して「直接禁止」し、制裁(罰則)を科すことを加盟国に義務付けています(第7条)。これに対し日本は、均等法も労働施策総合推進法も、行為そのものを直接禁止する規定を持ちません。あくまで事業主に環境整備を求める「間接的な措置義務規制」にとどまっているのです。

乖離その2 — 適用の包括性と一元性

ILO条約は、あらゆる産業部門の労働者に加え、求職者、退職者、ボランティア等を含む極めて広い人的範囲を一元的にカバーします。一方の日本は、セクハラ、パワハラ、マタハラといった類型ごとに異なる法律で個別に対応する方式であり、包括的な禁止規定を持ちません。

乖離その3 — 「仕事の世界」の広さ

ILO条約は、就業場所だけでなく、通勤時、出張、食事の場、ICTを利用した連絡、さらには顧客等の第三者が関与する場までを広く規制対象とします。日本も今回の法改正で適用範囲を広げましたが、依然として「事業主の措置義務」の枠組みから脱しておらず、責務規定の多くが努力義務にとどまります。なお、2021年の国会決議では「ハラスメントを禁止する規定の法制化の必要性について検討すること」との附帯決議がなされましたが、具体的な法整備の議論は進んでいません。

イギリス — 撤廃と復活のドラマ

イギリスでは、2010年平等法第40条に基づき、雇用主が被雇用者および求職者に対してハラスメントを行うことが明確に禁止されています。興味深いのは、顧客等による第三者ハラスメントへの対応が、歴史的な紆余曲折をたどってきたことです。

かつて2008年の性差別禁止法改正と2010年平等法の初期規定には、雇用主がハラスメントを知りながら3回以上放置した場合に責任を負う、いわゆる3ストライク・ルールが存在しました。ところが2013年、企業の規制負担軽減を目的に、この規定は一時撤廃されます。しかし女性労働者への被害多発を背景に、2023年労働者保護法と、新たに導入が進められている2025年雇用権利法案によって、規制は再び強化されました。2026年10月以降、イギリスの雇用主は、単発の事案であっても顧客等の第三者によるハラスメントを防止するための「すべての合理的な措置(all reasonable steps)」を怠れば、民事上の直接責任を問われ、損害賠償請求の対象となります。さらに、解決の過程で広く用いられていた秘密保持契約(NDA)にも厳しい無効化条件が課されるなど、被害者救済の強化が進んでいます。規制緩和から一転、日本と同じ2026年10月に強化された規制が動き出すという符合は注目に値します。

アメリカ — 「狂暴なオウム」の比喩と揺れる司法

米国では、1964年公民権法第7編に基づき、ハラスメントは「差別行為」の一類型として禁止されています。第三者ハラスメントについては、雇用主がその事実を「知っていた、または知るべきであったにもかかわらず、迅速かつ適切な是正措置を怠った場合」に過失責任を負うという法理が確立されてきました。

この法理を象徴するのが、連邦第7巡回区控訴裁判所のDunn v. Washington County Hospital事件(2005年)判決の有名な比喩です。いわく、病院にいる狂暴なオウムが女性を攻撃するのを病院が放置した場合、そのオウムは労働者ではないが、有害な作業環境に女性を曝し続けた病院が責任を負うべきである。加害者が誰か(何か)ではなく、環境を放置した雇用主の不作為こそが問われる。第三者ハラスメント法理の本質を突いた例えと言えるでしょう。

ところが2025年8月8日、連邦第6巡回区控訴裁判所がBivens v. Zep, Inc.事件判決で、この過失責任基準から急進的に離脱します。同判決は、雇用主に代理権のない顧客等によるハラスメントについて、雇用主自身がそのハラスメントの発生を意図(意図的な差別)していた場合に限り責任を負うという意図基準を採用しました。しかも裁判所は、行政機関の解釈優先権を制限したLoper Bright事件の連邦最高裁判決を引き合いに、EEOC(雇用機会均等委員会)の定める過失責任ガイドラインは司法を拘束しないと明言したのです。米国内におけるこの司法判断の分裂は、第三者ハラスメントの抑止義務をめぐる新たな法的論点を生み出しています。

フランス・韓国 — 刑事罰という直球

フランスは、行為者個人を刑事罰で直接処罰するアプローチです。1992年にセクシュアルハラスメント罪が定められ、刑法典第222-33-2条等においてモラルハラスメント(職場のいじめ)が犯罪として定義されています。行為者個人には最長2〜3年の禁錮刑と、3万〜4万5,000ユーロの刑事罰が直接科されます。

韓国でも、労働基準法改正により「職場内いじめ禁止法」が施行され、いじめの告発者に対する報復行為を行った事業主に3年以下の懲役または3,000万ウォン以下の罰金を科すという、直接的・制裁的な法アプローチが採用されています。各国の特徴を表で一望してみましょう。

ハラスメント規制の国際比較

国・地域 規制モデルの特徴 求職者への適用 第三者(顧客等)への法的責任 違反時の主な制裁・法的効果
ILO第190号条約 包括的「直接禁止」モデル、人権アプローチ 求職者・ボランティア等を明示的に包含 顧客等、第三者の関与する状況も幅広く網羅 各国法に基づく制裁、実効性のある救済
日本 事業主への「雇用管理上の措置義務」モデル 均等法(セクハラ)で2026年10月義務化 2026年10月より「カスハラ対策」を措置義務化 行政の指導・勧告、企業名公表、求人不受理
イギリス 平等法による差別禁止モデル(措置・代位責任) 平等法第40条で明示的にハラスメントを禁止 2026年10月施行の改正法により、防止努力を怠った場合に直接責任 雇用審判所による損害賠償命令、秘密保持契約の無効化
アメリカ 公民権法第7編による差別的環境の禁止モデル 差別禁止法理の範疇で広く保護 知り得たにもかかわらず放置した場合に過失責任(第6巡回区で一部例外化) 連邦裁判所による民事損害賠償請求(懲罰的損害賠償を含む)
フランス 刑法典による「直接犯罪化」モデル 主な対象は労働者(salarié) 刑事上のモラルハラスメント罪・セクハラ罪等による処罰 最長3年の禁錮(拘禁刑)、最大4万5,000ユーロの罰金
韓国 労働基準法等における職場内いじめ禁止 セクハラ法理で求職者を保護 産業安全保健法等による顧客からの暴力防止 通報者への報復等に対する直接的な刑事罰

第5回のポイント

国際的に見ると、日本の「措置義務アプローチ」は、行為の直接禁止や刑事罰を伴わないマイルドな枠組みです。ただしイギリスの動向が示すように、第三者ハラスメント規制の強化は世界的な潮流であり、日本の2026年改正もその文脈の中に位置づけられます。

いよいよ次回は最終回です。国際比較で浮かび上がった日本型「措置義務モデル」の限界と可能性を整理し、2026年改正を企業の力に変えるための戦略を考えます。

次回予告

最終回「措置義務モデルの限界と可能性 — 2026年改正を『守り』から『攻め』へ」。名ばかり相談窓口のリスク、求人不受理の衝撃、そして人的資本投資としてのハラスメント対策まで、連載の総仕上げです。

 

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