


第6回・最終回:2026年改正の核心②柔軟な働き方の再構築とフレキシキュリティへ <連載>労働基準法・改正の40年史と2026年大改正の行方(全6回)

第5回:2026年改正の核心①「労働からの解放」を法で保障する <連載>労働基準法・改正の40年史と2026年大改正の行方(全6回)

こんにちは、分かりやすさNo.1社労士の先生の先生、岩崎です!
連載第2回は、パワーハラスメントの法制化の物語です。前回見たとおり、セクハラ対策は1997年に均等法という受け皿を得て、段階的に整備が進みました。ところが、パワハラの法制化は大幅に遅れます。2019年の労働施策総合推進法改正まで、実に20年以上。では、その間、職場のいじめや嫌がらせに苦しむ人たちは、法的に無防備だったのでしょうか。答えは否です。法律が追いつかない空白の期間、規範を作っていったのは裁判所でした。
パワハラを直接規律する法律がなかった時代、被害者が頼ることができたのは、民法上の不法行為責任(民法第709条)や、安全配慮義務違反(民法第415条等)といった一般条項でした。個別の事件にこれらを適用する司法判断の積み重ねが、「職場のいじめ・嫌がらせに対して企業はどこまで責任を負うのか」という法的規範を少しずつ形成していったのです。
この時期の判例の中でも、後の法制化に決定的な影響を与えた3つの事件を押さえておきましょう。
1つ目は川崎水道局事件(東京高裁平成15年3月25日判決)です。上司らからの執拗な嫌がらせによって職員が自殺に至ったという、痛ましい事案でした。
この判決の画期的な点は、直接の加害者だけでなく、嫌がらせを認知しながら防止措置を怠った「傍観者」にも安全配慮義務違反を認め、被害者の自殺との因果関係まで認定したことにあります。「自分は手を下していないから関係ない」という理屈は通用しない。見て見ぬふりをした者、組織として放置した者にも責任が及ぶ。この判決が、現在の措置義務、つまり「体制を整えて防止せよ」という発想の源流の1つになっていることは、ぜひ覚えておいてください。
2つ目は国際信販事件(東京地裁平成14年7月9日判決)です。事実無根の噂の流布、過重労働の押し付け、隔離といった組織的な嫌がらせを放置したことについて、会社だけでなく、企業の代表取締役個人に対しても、善管注意義務違反に伴う損害賠償責任を認めました。
ハラスメントの放置は、もはや現場任せの問題ではなく、経営責任そのものである。この判決は、そのことを経営トップに突きつけたのです。
3つ目は、ハラスメントの背景にある組織的な権力構造を告発したトナミ運輸事件(富山地裁平成17年判決)です。闇カルテルを内部告発した社員に対し、会社が32年間にわたって昇給を停止し、雑務のみを与え続けるという報復的なモラルハラスメントを行った事案でした。裁判所は原告の主張を全面的に認めます。
本事件を契機とする社会的議論は、内部通報者への報復的処遇を禁止する公益通報者保護法(2004年制定)の成立を強く後押ししました。同法はその後、2009年の消費者庁における相談窓口の設置などを経て、2020年には退職者の保護や守秘義務違反に対する刑事罰の強化など、保護範囲を拡大する法改正へと繋がっています。ハラスメント法制と公益通報制度が、判例を蝶番として連動しながら発展してきたことが分かります。
こうした司法判断の蓄積と社会的要請の高まりを受けて、2019年、ついに労働施策総合推進法(いわゆるパワハラ防止法)が改正されます。大企業には2020年6月から、中小企業には2022年4月から、パワハラ防止のための雇用管理上の措置が義務付けられました。
これにより、優越的な関係を背景とした、業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により就業環境を害する行為が、法的に再定義されることになりました。判例が20年かけて積み上げてきた規範が、ようやく制定法の形に結実したのです。ここまでの歩みを年表で整理しておきましょう。
【表】ハラスメント法制の歩み(1997年〜2019年)
| 年 | 法的契機・重要判例 | 主な法的意義と影響 |
|---|---|---|
| 1997年 | 男女雇用機会均等法改正 | セクハラ対策を事業主の「配慮義務」として初めて明文化 |
| 2002年 | 国際信販事件判決 | 代表取締役個人のハラスメント放置に対する役員責任を認定 |
| 2003年 | 川崎水道局事件判決 | 嫌がらせを認知しながら是正しなかった「傍観者」の安全配慮義務違反を認定 |
| 2004年 | 公益通報者保護法制定 | トナミ運輸事件等を契機に、内部通報者への報復的処遇を禁止 |
| 2006年 | 男女雇用機会均等法改正 | セクハラ防止措置を「配慮義務」から「雇用管理上の措置義務」へ格上げ |
| 2019年 | 労働施策総合推進法改正 | 優越的関係を背景としたパワハラの定義を創設し、措置義務化(中小企業は2022年) |
判例は単なる過去の記録ではありません。川崎水道局事件が示した「認知しながら放置した者の責任」という法理は、安全配慮義務の解釈として今も生き続け、2026年改正後の実務にも直結します。相談窓口を設けても機能させなければ、この法理の射程に入るのです。
さて、ここまでで「社内」のハラスメント法制の骨格が完成しました。次回はいよいよ本連載の主役、2026年10月施行のカスタマーハラスメント対策義務化を取り上げます。ハラスメント対策の対象が「社内」から「社外」へ広がる歴史的な大転換。その中身を徹底解説します。
第3回「2026年10月、カスハラ対策がすべての事業主の義務になる」。カスハラの法律上の定義から、就業規則の整備、録音・防犯カメラによる証拠保全、そして「求人不受理」という重いペナルティまで、実務対応の全体像を描きます。



